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若い許六一氏は、料理にとっても興味をもちました。台湾が日本による統治から中華民国による統治に入れ替わったとき、米軍駐在のため、西洋料理はあちこち南台湾にありました。許六一氏は洋食料理の勉強をしたので、「棺材板」を考案しました。食の材料(トースト)から食器(ナイフとフォーク)まで西洋の雰囲気漂うの点心店です。「棺材板」の由来は、まだ面白い話です。 「棺材板」当時は「鶏肝板」と呼ばれました。40年代は、鶏の肝等の内臓は台湾で上等の食材です。許六一氏は、最初は具として鶏の肝を、洋食に出てくるトーストに入れ、当時は「鶏肝板」と名をつけていました。 具のあまみはフランスのフォアグラみたいです。 ある日、成功附属工業学校(現在国立成功大学)の教授は店を訪れ、「鶏肝板」を食べました。それには一代目料理長と友達の教授にまつわる話があります。教授が「鶏肝板の形は発掘した石の棺おけに似ている」と言いました。 これを聞いた生まれつき大らかな許六一氏は、縁起の悪さをまったく気にすることもなく、「棺材板」と名前を変えたところ、料理はさらに広まり、台南に来た人が必ず食べる軽食の一つになりました。 現在、「棺材板」の味はプレーンとカレーの二種類を選択できます。
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